2009年02月15日

雛人形 その2

日本の古典にふれるうえでの知識としては重要なのに、
そもそも雛人形のせいで誤解していることが、一つある。

それは、
人々たちが集まる場所に置いて、身分が高い人は裳をつけず、
人に奉仕する役目の女性たちは裳を付けていた、
という「常識」である。

たとえば源氏物語の若菜巻で、女たちが演奏するとき、
明石の上が一人で裳を付けている。
コレは同席した紫の上や女三宮や、中宮である実娘に対し
へりくだって、
あえて卑屈なふるまいをして見せている。
柏木が「あれが女三宮だっ!」とすぐわかったのも
彼女だけが裳をつけないで軽装だったからだ。

ところが雛人形の場合は、
五衣唐衣裳(十二単)を付けているのは一番エライ女性で、
袿姿という軽装でいるのは身分の低い三人官女である。

女雛と官女の衣裳のバランスがこういうふうになったのは、
そもそもいつの時代からだったのか、
どこかでちゃんと知りたいのだが、
それにしても十二単の着せ方なども
時代によってばらつきがあるから興味深い。





雛人形も10年スパンで見ると、いろいろと流行が変わっている。
今年はりかちゃん雛人形なんてものもあるようで、
楽しい。
変に古典仕様のものよりも
こういうもののほうがお祝い文化としての雛祭りにふさわしい。
もちろんミッキー&ミニーも根強い人気。




例年、勝浦などで雛人形のまつりをやっているが
古い雛人形を見比べるのも、結構楽しい。
明治より昔の物でなければ
アンティークとしての価値はないそうだが、
自分の子どもの頃と同じ衣装の形をした雛人形を見ると、
なつかしさがこみ上げてくる。

現在の雛人形の三人官女は
たいていキレイに色を重ねた袿姿を着ていて華やかだが、
私の実家の雛人形は
三人官女が、ただの打ち掛けを着ていた。
でも、刺繍なんかしてあってちょっとキレイだった。
私の祖母の所にあった雛人形に至っては
三人官女は白の小袖に紅の大腰袴(おおごしばかま)だった。
これはたしか江戸時代の官女の姿である。

あと、小さい頃に親戚の家で見た「狆引きの官女」は
狆を綱で繋いで引いている官女の人形で、
昔にはけっこうよくあったスタイルの物で、
これも桃の節句の人形だったそうだ。

ところで、
実はうちの双子の娘には
小さな焼き物の雛人形を買っただけである。



みんなに「それじゃ可哀想」と言われるが、
コレだったらどこにでも持っていけるもんね〜と思っている。
私の雛人形は、収納場所がないからということで、
ずいぶん昔に供養に出されちゃったのだから。
posted by ルクレツィアの娘 at 14:38| Comment(56) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。